あー暑い暑い暑い……という月山さんの声が、医務院中に響き渡る夏の午後。



私たちの仕事に休みはない。
休みになればなるほど、人の出が多くなればなるほど、仕事は増える。とても皮肉なことに。

でも、今日は違った。 お盆だというのに、昼を過ぎた頃から検案以来の電話が鳴らなくなり、ついにはピタリと止んでしまった。

事件捜査、とはりきってやってきた月山さんも、「他殺の可能性なし」と聞くと、急に元気をなくし、暑い暑いと嘆くばかり。



外からは元気な蝉の大合奏が聞こえてくる。

この暑さにも、負けずに。



 サ ニ モ  ケ ズ




よいしょっと、さっきから探し物をしていたらしい栄子さんが、なにやら奥から抱えて戻ってきた。
暑くてうなだれていた月山さんも、デスクで書類を書いていた私も、思わず顔を上げる。

「お待ちかね、真打君の登場よ」
「ん……? なによそれ……」
「見ての通り、かき氷機。去年、部長が商店街の福引で当てたってやつ」

そういえば、かき氷機なんてあったんだっけ。
部長が商店街夏の福引大会なんていうので偶然当てたという。当たったのはいいけれど、家にあっても使う人がいないから医務院に持ってきた。そういえば、そんな話を聞いたような気がする。
でもそのまま夏が終わって、結局使う人もいないまま一年放置されてしまったのだ。

「いいでしょ、かき氷。こんな暑い日にはぴったりね。部長、氷あったっけ?」

田所部長は冷凍庫へと指差す。

「よし来た」

途端に栄子さんは走り、また戻り、器械にセットし、と早速準備を始める。
その素早い動きには、この暑さをまったく感じさせなくて、私も思わず目を見張った。

「ちょっと天野、あんた暇そうね」

彼女に声をかけられたのは、そんなときだ。
こういうときの役割は大抵決まっている。すぐに私は立ち上がって、栄子さんのそばまで寄って行った。

「私、……ですか?」
「そうそう。お皿持ってきてくれる? えーと……私でしょ、天野も食べるわよね。部長は?」
「おー、俺ももらうか」
「じゃあ部長と、」
「私イチゴ。練乳はたっぷりよろしく」

デスクについて、難しい本を読んでいた杉先生も何食わぬ顔で手をあげる。

「ちょ、ちょっと、祐里子。あんたまで食べんの? こんなたかが氷にシロップぶっかけたような水分ばっかりの食べ物なんて大しておいしくもないわよ」
「あら、悪いかしら?」
「それじゃあ、月山。あんたはいらないわね」
「……それは」
「天野、お皿4枚だって。月山いらないって言うから」
「あ、はい」
「……あ」
「何よ月山」
「……いいわよ。食べてあげるわよ作るなら」
「はいはい、最初から素直になりなさい。ってことで天野、お皿は5枚よろしくね」

椅子のすわりふてくされている月山さんを尻目に、「はーい」と元気に良い返事をして、お皿を取りにいく。
外からは、喜多村さんが地元の夏祭りで買ったという風鈴の音が、ちりん、ちりんと涼しい音を運んできてくれる。

その一瞬一瞬に、私の中から暑さとけだるさが少しずつ消えていく。



私がお皿を持っていくと、早速栄子さんはかき氷を作り始めた。
気合を入れて、かき氷機を回すと(ちょっと古いみたいで、それは手動式だった)中から細かい氷の粒ががきらきらと降ってはお皿に積もる。
外はじりじり暑いのに、さらさらと氷の積もるそこだけ、冬がやってきたかのように。

それでも月山さんはその隣で、まだやっぱり暑いのかただぐったりしているし、先生は先生で机までやってきて本読んでいるし、医務院には不思議に平和な時間が漂っていた。

「こうやって見てると、子供の頃思い出すなぁ」

ふと私は、かき氷を見て思いついたことを口に出してみた。
夏祭り、家でも食べられるでしょ?と母親に言われても、どうしても食べたかったそれ。
屋台の前には色とりどりのシロップが並べてあって、幼心にはそれがなんとも楽しく、特別な食べ物に映ったあの頃。
祭りって聞くだけで嬉しかった。ずっと前から、どきどきしていたあの頃。

「楽しかったな、夏祭り」
「あー、夏祭り。いいわよねぇ。男の子との初デート。浴衣でさ、こう、道に迷わないように、とか言って、ぎゅっと手つないだりしてさぁ。黒っち、待って守くん、とかさぁ」
「つかんだ手が違う女の子で、大喧嘩してそのまま破局とかね」
「うわっ。あんたねぇー、そんなじめじめしたこと考えてるとそのうち腐るわよ。納豆みたいに糸引き始めるわよ。こうネバーって」
「うるさいわね。暑いと何も考えたくなくなんのよ」

栄子さんと月山さんの漫才のような掛け合いを見ながら、クスっと笑う。
でもそれから、ふと何か違和感を感じ、首をかしげた。

「黒っち……?」
「ああ、それ。私の中学時代のあだ名」

何だそんなこと、というくらいあっさりとした栄子さんの返事。
途端に、元気がなかった月山さんが吹き出し、

「へえ、あんたが黒っち。いいじゃない、黒っち」

と笑い出した。
確かに、今の栄子さんからは何だか想像できなかった、『黒っち』なんてあだ名。

「そんなに笑わなくたっていいでしょ。美しき、青春時代のあだ名よ?」
「はいはい。黒っち先生。あー、やっぱりいいわね、これ」
「もう。そういう月はなんて呼ばれてたのよっ?」
「あっ、気になるなぁ、それ」
「え、あたし? あたしは普通に……紀ちゃんとかノリとか……」
「あら紀ちゃん、可愛らしいこと」
「余計なことはいいの。じゃあ天野、あんたは? ま、普通そうだけど」
「失礼しちゃうなぁ……でもやっぱり普通ですね。ひかる、とかひかるちゃん、とかひーちゃん、とか……」

過去の自分を聞かれるというのは、くすぐったいというか、気恥ずかしい。
呼ばれていたその名前を改めて口にすると、何だか照れくさかった。

「あ、杉先生は? なんて呼ばれてたんですかぁ?」

別に深い意味も無く、話の流れから杉先生にも尋ねた。
盛り上がる栄子さんと月山さんは、置いておいて。

「……そんな別に、あだ名なんてなかったわね」
「そんなことないでしょう。どうせ、あんたのことだから変なところで照れてるんじゃないのぉ。言わないなら、あげないわよ、この芸術的なかき氷」
「そうよ。聞くだけ聞くなんてセコいわよ。さっさと言っちゃいなさいよ」

とはいえ二人もやっぱり気になるのか、途端に援護射撃に撃って出てくれる。

「そうね……祐里子とか」
「とか、ってことは他にもあるわね?」
「……祐里とか」
「はいはい。月、天野、なんだか他にもありそうよねぇ」

本から顔を上げずに、一応答える杉先生と、それを楽しそうに聞く月山さんと栄子さん。
よく見ると田所部長もデスクについて、必死に笑いをこらえている。

「ないわよそんなに。残念ね、あんたたちが期待しているようなものなら無いわ」
「とか言っちゃってもう」
「杉先生、絶対あんた、何か隠しているわね」
「隠してなんかないわよ。こんなの、隠したってしょうがないでしょ。大体、何を根拠に」
「決まってるじゃない、刑事の勘よ」
「……ご勝手にどうぞ」

本を閉じ、またデスクのほうに戻っていってしまいそうな杉先生の背中に。
私は思わず、声をかけてしまった。

「もしかして、というか普通だと思うんですけど……祐里ちゃん、とか……」

それは何でもない一言だったと思うけど、次の瞬間、先生の動きが止まった。



実は非常にまずいことを、言ってしまったのかもしれない……



私は慌てた。でも、その先生の態度を「無言の肯定」と見たのか、月山さんと栄子さんは楽しそうに、

「いいわね。いいじゃない、祐里ちゃん。偉そうなあんたらしくなくって。気に入ったわ」
「今はこんな杉にも、そんな時期があったという確かな証拠ね」

と笑っていた。
杉先生は、それでも何も言わなかった。ただ、机の方に戻ってきて、静かに再び読書を始めただけ。
私と田所部長も目が合って、お互いクスりと笑いあう。
そのなんとも不似合いで、そこに照れてしまう杉先生が、可愛らしくて仕方なかった。



それぞれのお皿に季節外れの雪を積もらせ、栄子さんはみんなの前に置いていく。

「祐里子、あんたって本当に面白い奴だわ」
「おあいにく。月山に言われてもまったく嬉しくないわね」
「ま、同時にひどく素直じゃないってことも間違いないわね」
「本当ですよね」

それから月山さんと二人で、ねえ、と頷きあった。

栄子さんが冷蔵庫の中から手当たりしだい持ってきたシロップと、様々なジュースの中から各々好きなものを氷にかけて、かき氷を作り、口へと運ぶ。
冷たい氷と、甘いシロップが合って、口の中ですっと溶けていった。
外からは、蝉の大合奏、それから涼しげな風鈴の音が聞こえてくる。
さっきまでまとわりついていた暑さが、スーッと消えていった。

「ふーん。案外、おいしいわね」
「でしょう? どこの誰だったかしらねー、さっきまでただの氷にシロップぶっかけたものなんか食べないとか言ってたのは」
「そこまで言ってないわよ、別に」

栄子さんにひがみ口をたたきながらも、スプーンでかき氷をすくい、口へ運ぶ彼女に、声をかける人が一人。

「せっかく旨いもん食ってるんだからなぁ、そのあたりにしとけ。黒っちと……紀ちゃんか」
「……ちょっと部長、聞いてたの?」
「人聞き悪いこと言うなぁ。聞いてたんじゃないぞ。ただ、丸聞こえだったってだけだ」
「んもう。なんか……ねえ、部長に言われるとなんていうの、照れるわよね月山」
「……もういいじゃない黒川。さっさと食べなさいよほら」
「ちょ、ちょっとそんな急かさないでよ。この折角の芸術的なかき氷がこぼれちゃうでしょうが」

にんまりと笑う部長と、しきりに栄子さんに食べるよう促す月山さん。
顔が赤いのは、多分暑いせいだけではないだろう。
その理由が分かっている私も杉先生も、彼女に突っ込まずにはいられなかった。

「良かったわね、紀子」
「何よ良かったって。あたしなら別に、良くないわよ。あー、暑いな、夏は暑くて嫌」
「そうですかぁ? 涼しいですよ。かき氷、食べてますから」
「天野の言う通りよ。あんただけよ、そんなに暑がってるの」
「あー……天野に杉祐里子、本当にあんたたち覚えておきなさいよ」

かき氷を一生懸命食べる、月山さんがなんともおかしくて。
一口すくっては食べるかき氷の冷たさが、全身にゆきとどく。





外では元気に蝉が鳴いていて、風鈴の音にほっとする。

一口食べるかき氷の冷たさに、なんとも嬉しくなる。

先生たちとのやり取りが、楽しくて楽しくて。



たまには、生に溢れるこんな幸せな午後を。



暑さにも負けず頑張る蝉たちの声を聞きながら、再び私は微笑んだ。



*end*



あとがき





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