扉を閉めるとカラン、と良い音がする。 観葉植物が所々に置かれ、大きな窓から日光が照らす明るい喫茶店にその音は実に似つかわしい。 「へえ」と小さな声を漏らし、思わず月山が見上げた先には小さなカウベルが付いている。来訪者が来ると、乾いた音を響かせては知らせてくれるのだ。 「写真ってさ……残酷極まりないわよね」 「残酷、ですか?」 「そう。昨日、ひっさしぶりに有給取ったでしょ私。で、じゃあどうせなら部屋の整理でもするかって思ってタンス引っ掻き回してたらさぁ……」 遅れてやってきた杉と月山、二人の視線の少し先。 芝居がかった黒川の言葉に、「何ですか?」と興味津々、天野がしっかり引き込まれている。 「出てきたのよおぞましい記憶」 「また凄い言いようねぇ、おぞましいって」 二人のいるテーブルまでやってきた杉が、挨拶代わりに言葉をかけた。 「あ、杉先生、月山さん!」と天野が嬉しそうに声を返し、「よっ」と月山も軽い挨拶を交わす。揃って空いた二つの席に着く。 いそいそとやってきた店員にはコーヒーを2つ、追加注文。 「珍しいわねえ、あんたたちが二人そろってご登場って、仲良く」 「違うわよ。偶然そこで会ったの」 「そ。月山がちょうど声かけられていたところ」 話がよく見えないというように、天野と黒川がポカンとした顔で見合わせた。 杉がにやりと笑う。 遠まわしな言い方をするのは、その裏に別の文脈が含まれているということだ。 それに気づいた途端、何か思うところがあったらしい、「ちょっともう、それはいいでしょ」と月山が眉をしかめた。手を顔の前で動かし、彼女の言葉をけん制しようと試みる。 しかし、 「声? え、誰にですか?」 そんな月山に構うことなく尋ねる天野。声が弾み、顔がぱあっと明るくなる。 「同僚よ。スピード出しすぎて警察に追われるとは思わなかったわ。まさか、さすがの月山が」 「うるっさいわね」 しかめっ面を向ける月山に、杉が顔に笑みを浮かべて応戦する。 普段4人が仕事外で集まるのは、もっぱら御用達のイタリア料理店での夕食会だが、最近はすっかりと忙しく、それすら随分とご無沙汰といった状況だった。 それを見かねた田所が気を利かせて、時間を作ってくれたのだ。 そんな久しぶりのオフだからか、事件片付け猛スピードでやってきたというのが、何だかんだ言っても月山の可愛らしいところだと杉は思ったのだが。 杉にかかると、どうやら月山にはどうも嫌味がかって聞こえるらしい。 「もうほら笑ってないで――さっさと話進めなさいよ」 杉から始まった笑いが、天野へと黒川へと伝染し、そして結局そう口にする月山すら最後には顔を緩めている。 いつもの強い口調も、笑っては何とも迫力に欠けるものだ。 「はいはい。あー、もうとにかく……おぞましい記憶を見つけちゃったのよ」 「記憶?」 「黒川さん、昨日有給取ったんです。それで、部屋片付けてたら残酷?な写真を見つけたらしくて」 自分たちが不在の時の話を逐一に報告してくれる天野に、へえ、と杉が興味深く頷いた。 ただ写真を見つけたことを、記憶を見つけた、と強調するところは黒川である。 「あ。ちょっと、分かったわよ」と嬉しそうに声を張り上げるのが月山だ。 「あんた、昔の自分の写真見て落ち込んだんでしょ?」 「えっ。そんな、落ち込むほど酷いんですか?」 間髪入れず、目を丸くし、天野は思ったことをそのまま言う。杉がこっそりと噴出した。 その言葉に悪意は全く無い。純粋に驚き、素直な気持ちが思わず口に出てしまっただけなのであるが、その素直さが、時にはどんな嫌味よりも威力のある言葉となる。 さすがの黒川も、「なっ……」と開いた口がふさがらなかった。 「違うわよ。違います! 失礼しちゃうわね。別に、そこまで現実逃避してるわけじゃありません」 「あら。違うの? なんだ、だっておぞましいなんて言うから」 「何で自分の顔見ておぞましいなんて言わなきゃいけないのよ。そんな過去振り返って自ら自分卑下しなきゃならないなんて、それこそおぞましいじゃないのよ」 「じゃあ、何を見つけたんですか」 「なに、って?」 天野のもっともな質問に、黒川の勢いが急に止まった。休むことなく動いていた口が閉じ、沸々と熱していた表情が一気に冷めていく。3人の視線が、黒川に集中した。 「何って……昔の男と撮った写真? それも、すんごいうれっしーそうな顔の奴」 きっとそう言うだろうと思った。と、苦虫を噛み潰したような顔をする彼女の言葉を聞きながら、3人は同時に思った。 黒川の言葉は彼女らしいことこの上無く、やはり予想を裏切らない。 こういうときの態度は決まっている。 “敢えて”黙り続ける3人に、「ちょっとぉ、聞くだけ聞いといてその反応は無いじゃないよ」と話を切り出したその人が、我慢できずに声を上げた。 「ま、想像していたとはいえ、そんな言うほどのことでもないわよね」 「あー、そうですね」 「そうですねって、オイ天野ぉ」 間髪入れず隣に突っ込む黒川に、ふふふと笑って月山は言葉を続ける。 「まあ、その男が指名手配中の凶悪犯だっていうならまた別だけど」 「んな甲斐性ある奴じゃないわよ。普通よ普通、至って普通の、つまんない男」 「つまんなすぎて、付き合っていた昔の自分に呆れ返った?」 「あー」 大きく、納得するように一度頷いて、 「それはある。でもさぁ、懐かしくて見入っちゃうもんね、忘れてた写真見つけると」 しみじみとした言い方には、ふざけた月山に便乗するつもりで尋ねた杉も、頷きながら妙に冷静になってしまう。 しかし当の顔が真剣なそれに切り替わるのもまた早い。 「でも、問題は、その写真を撮った日。忘れもしない12月10日」 「誰かの記念日ですか?」 「あ、あんたまさか1周年記念とか小娘みたいなこと言うんじゃ」 「いやいやいやいやそういうんじゃなく……」 「え、じゃあ――」 「1周年どころか、次の日にその男と別れました。もう切れ味最高にズバッと」 深く頷きながら、さっぱりとした口調で語る黒川に、3人の動きが止まった。誰ともなしに思わず、目と目が合う。 聞きたいことは、疑問に思ったことは、おそらく一緒なのだろう。 そんな困惑した気持ちを代表するかのように、「だって、笑顔だったんでしょ? その写真」と月山が口を開いた。 「そうよ。二人ともこれでもかってくらいの満面の笑みだったわよ。ほらほら、はい笑ってーって」 「それなのに別れたちゃったんですか?」 「ちょっと妙じゃない、その話」 “妙”や“変わった”ことには誰よりも敏感なのは刑事である。 口角を上げて笑みをこぼし、「ねえ、何があったのよ?」と口元に当てていた手の平を返し尋ねる。目は輝き、テンションもぐっと上がる。 「現金な奴ねえ。自分の興味が出てくるとすぐこれだよ」 「いいじゃない。で、何があったの?」 「次の日ね、いきなりよいきなり、『別れて下さい』って前触れもなく泣き落とし。落ち込んだっつーか絶句したわよね、あれは。あー今思い出すだけでも腹立たしぃ」 一気にしゃべるだけしゃべって、彼女はすっかり冷えたコーヒーに口をつけた。 だが、 「なるほどね。つまり愛想尽かされたわけか」 あっさりと結論を出した月山の言葉で途端にむせかえった。隣に座る天野が「だ、大丈夫ですかぁ」と心配そうに背中をさする。 「何でそうなるのよ。だから、泣き落とされたって言ってんでしょ」 「愛想尽きました、別れてください、なんて言わないわよ普通はっきりと。大体、要は笑顔の自分に腹が立つんでしょ? 騙されてたのに、へらへら笑顔って。あんたが許せないのはそこでしょ?」 「……まあ、否定はしない、けど」 数秒の間の後、渋々肯定を見せた黒川に、月山は、ほらごらんなさい、と言わんばかりの満足そうな笑みを浮かべた。 「でも、それ以上に腹が立つのはあの男の笑顔ね。写真見てもさ、何思ってるか分かんないのよ。次の日あんな、大泣きしてよ? 別れ切り出したくせに」 「当たり前でしょう。写真なんだから」 「でも、表面上はものっすごい笑顔なのよねぇ」 神妙な顔をして、もう一度かみ締めながら言う黒川の表情をちらりと見て、なるほど、という顔をする。いつも通りだ、と呆れていた月山の一方、杉はまんざら理解できなくもなさそうである。 そして天野は、 「やっぱり……本当に嬉しかったからじゃないかなぁ、きっと。別れようなんて思ってなかったんです。でもその後、何かあって……」 視線は一点を差し、じっと考え込むように。手を動かし、間を空けながら話すその姿は、必死に考えながら、頭に浮かぶ言葉を搾り出しているのだということが見て取れる。 「何かって? 何よ」と月山。 「……そこまでは、分からないですけど」 「言うと思った」 「どういう意味ですか」 さっぱりした調子で言う杉に、天野が食って掛かる。こういう天野を止めるのは、彼女の役割なのである。 顔も上げずに続けた。 「そういう安い同情、やめたほうがいいってこと」 「同情って、そんな、わたしは――」 「いいわよいいわよ。あんただけよぉ、そうやって言ってくれるの」 納得がいかなそうな彼女の肩に、黒川が軽く手を乗せて叩く。それでもまだ天野はむすっとした様子で、音を立ててコーヒーをかき混ぜて、もう、何なんですかぁ、と小さく独り言と一緒に、一気に飲み干す。 顔を上げた杉と天野の目が一瞬合った。厳しいこと言った後にしては、その目が妙に優しくて、口元がふんわり緩んでいるものだから、天野はポカンとしてしまう。 一方月山は、 「それは無いんじゃない? だって、次の日別れ話切り出されたのは事実なんでしょ?」 「そうねぇ」 「じゃあ作り笑顔よ。間違いないわよ。そんなの、よくある話じゃない」 強引に自分の結論へと持っていくところは、実に刑事らしい。話をまとめて、最後にはふふん、と自信に溢れた笑みを見せる。 「まった嬉しそうな顔して。そうやって月山に改めて言われると、分かっていたとはいえ結構グサッと来るわよね」 「うるさいわね」 「そうなのかなぁ」 三者三様、その意見に各々が自分の感想をさらりと述べ、冷めかかったコーヒーを一口。 軽く始めた話題のはずが、気づけば考え込んでいる。 「いくら考えたってもう分からないの」 そこで、今までずっと聞き役に徹していた杉が、口を開いた。空になったコーヒーカップを皿に置く。かちゃ、と小さな音が、4人の間に響いた。 「分からないの、その時の気持ちなんて。きっと本人だって本当のことはもう分からない」 目を伏せて、そう口にする姿が――意識してか無意識かは分からないが――妙に重く。 それまで互いに言い合うことに必死だった月山と黒川も、冷静になってしまう。 「まあ、そうね。そこが写真のいいところなのかもね」 「寂しいところでもありますけどね」 「まあねえ。ま、その笑顔見てたら、違う結末あったんじゃないかって思っちゃうのよね、万に一くらい。表面は、幸せにしか見えないんだもん」 と黒川は、誰に言うでも呟き、「まーそういうものなんですけどね、分かってるんですけどね」と結局自己完結する。「そうですよ。大切にしないと、いい思い出じゃないですか」と天野がフォローにまわって、「そうよね」と彼女が最後は泣き出す真似をする。 「大体ね、あんたもわざわざ昔の男の写真なんか残しとくのが悪いのよ」 「だって下手に捨てるわけにもいかないじゃないの。なんつーか、呪われそうじゃないぃ?」 「はあ? 呪われるようなことしたんじゃないの?」 「やーもう、しないわよ。でもさ、かと言って別れた男の写真ってお祓い出すのもどうかって感じするわよね。ナンマイダーナンマイダーってさ」 あまりに熱意のこもった物まねに、「お祓いってアンタね」と言いながら月山は笑い出して、天野も杉も一緒にくすくす笑ってしまう。 一通り笑い終わって、それからはたと気づいたというように、 「あれ、月山さんは取っておかないんですか?」と天野が素朴な疑問を口にした。 「え?」 「いやだから、写真ですよ」 「ああ、おかないわよ。だって別れてたんでしょ? いらないもの」 当然でしょ、といわんばかりのその態度。「さすが月山」と黒川がうなり、 「ふうん……お互い嫌いになった結果じゃなくても?」 「ん、そうね――」 隣を向いて尋ねた杉の言葉に、月山の言葉と動きがぴたりと止まった。今度は、そんな彼女に、3人の真剣な視線が集まる。 「……そんなの、場合に拠るわよ、場合に。大体、あんたはどうなのよ?」 「どう?」 そう、どうなの? 追及される側から追及する側に回った途端、月山が一気に元気になる。「どうなんですか?」と天野が思わずもう一度繰り返して、楽しそうに、3人は答えを待った。 「さあ、どうかしら」 「何よそれ」 不服そうな月山に、微笑んでから杉はしばらく考えるようなしぐさを見せて、 「確かに写真は真実を教えてくれないわ。でも、それを消したところで事実が消えるわけではない」 と口を開いた。あくまで具体的なことは口にしない彼女に、月山は目を細めて睨みつけ、天野はふうんと頷くしかない。ははあん、と黒川だけもの知りという顔で、 「ってことは……つまり、取っておくのね、しっかり大事に」 と反撃の機会を作る。それに早速月山が乗った。 「あ、あんたそんなこと言って。実は、たまに見返して思い出に浸ってるんでしょ」 「えーっ、杉先生が、ですか?」 「まさか。冗談辞めなさいよ」 「あのね、こういう奴に限って、裏ではしっかり男に依存してるものなの」 「そうよ。真面目そうに見える奴ほど、裏で何やってるか分からないものよ」 「へぇー」 「ちょっと、勝手に人の生活想像しないでくれる?」 「またまたまたまた……」 盛り上がる天野と月山に、そろそろ怒り出しそうな杉を黒川が抑える。 その姿がまた面白くて、天野が笑い、月山に移り、最後は結局杉にまで笑いが伝染する。 仕事と仕事の間、つかの間の安息を4人はゆっくりと楽しむ。 *end* やっと4人書けたー! 初めて「きらきらひかる」の2次を書いたのは今からちょうど3年前のこと。 その時書いたのが夕食会だったので、今回は原点復帰しよう! という感じです。 この話、もっと重かったのですが、栄子さんにしゃべらせた瞬間そんな要素が消えました。笑 すごいな! また受験終わったら書きたいなぁ。今更だけど、こっそりメインのサイトを作りたいくらい。笑 2006.11.14 |
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