0  0  children's  day



「・・・神林先生、何見てるんですかっ?」

先ほどからニコニコ笑顔で机を眺め続ける神林を妙に思い、大田川は後ろから声をかけた。
手には、神林お気に入りの100g4000円の淹れたてたばかりのお茶を持ち、「神林先生、お茶です」って言えば、万が一の場合でも妙には思われないはず!と頭の中では万が一の場合に備えて計算もばっちりだ。

「あっ、大田川先生!いいところに来たね〜」

しかし大田川の予想とは裏腹に、神林はその声に神林は後ろを振り返ると、さきほどよりもますます顔が笑顔になっていく。
あまりの笑顔に大田川は逆に顔を引きつらせ、「おっ、お茶淹れたんですけど・・・」と思わず声を震わせつつ、言葉を待った。

いいところって・・・神林先生、何か怖い・・・

すると神林はまた机の方に向き直り、今度は何やら大事そうに持ち上げた様子で、大田川の方に再び顔を向ける。

「実はさぁ・・・じゃーん!!」
「・・・・あっ!鯉のぼりですか?うわー・・・可愛い」

満面の笑みを浮かべる神林の手の上には、小さな鯉のぼりが乗っていた。
さらに大田川の嬉しそうな反応を見ると、「お茶ありがとね。これ100g4000円のやつだよね?」と早速受け取り一口飲んで、今度は自慢げにその"鯉のぼり"についての話しを続ける。

「でしょでしょ。それにこうやって良き吹きかけると・・・ちゃんと鯉揺れるんだよね。ホントよく出来てるな〜って感動しちゃってさ」
「へ〜本当だ。・・・でも神林先生、何でも鯉のぼりなんて持ってるんですか?」
「だってさ、今日は子供の日じゃない?妻が送ってきてくれてから、持って来ちゃった」

あっ、そっか!5月5日・・・今日って子供の日だった!すっかり忘れてたな〜

神林の言葉に、思わずカレンダーに目を向け、大田川はそうだったという顔をした。
救命というところにいると、その仕事柄つい季節感というものがなくなりがちだ。
いつも、もう少し、もう少し・・・と思ううちに、季節は過ぎ去ってしまう。

もう子供の日か・・・そういえば私、何日家に帰ってないんやろ・・・

「大田川、何やってんだよ!ICUの・・・」

そこへいきなり入ってきたのは矢部だ。
神林とのんびりしている大田川を見つけると、すぐさまムッとした顔をして大声出したのはいいものの、すぐに

「矢部君!ちょっとコレ見て」

という大田川の声に制され、「何?」と結局机まで行くことになってしまった。
大田川は自分の手の上に乗せていた小さな鯉のぼりを矢部に見せ「今日子供の日じゃない。だから鯉のぼり!」と楽しそうに言う。

「へぇ〜、小さっ!でもよく出来てるな〜」

懐かしいなー、などと口に出しながら、その小さな鯉を指で触ったり息を吹きかけてみたりと実に楽しそうだ。
矢部その言葉に、ますます神林が嬉しそうな顔をしたのは言うまでもない。

「え、これってお前の?」

何となく形式的に、矢部はそう聞く。

「違う違う、神林先生の」

大田川はそう言い、神林の方に視線を向ける。
それとほぼ同時に、神林も自分を指差し「僕、僕!」という仕草をした。

「そ、僕の。妻がね、可愛いの見つけたからって送ってくれてさ〜」
「あ、そうなんですか。へ〜、確かに季節感あって良いですね。・・・何だ俺、てっきりお前のかと思ったよ。そんなに嬉しそうに言ってくるからさ」
「違うって・・・って大体私女の子なんだけど!」
「女の子って・・・お前もうそんな歳でもないだろ〜」
「うっわ・・・矢部くん酷い・・・」
「冗談冗談・・・あ、進藤先生」

そこへICUから戻ってきた進藤もやってきた。
矢部の呼びかけに、思わず顔を向ける。

「進藤先生〜、いいところに来たねぇ」

本日三回目となる、神林のそのセリフが進藤を直撃した。
神林は大田川から鯉のぼりを受け取り、立ち上がって進藤を手招きする。
その動作に、大田川と矢部は思わずため息をついてヒソヒソと、

「大田川・・・神林先生、また説明する気なんじゃ・・・」
「絶対そう・・・今日朝から嬉しそうな顔してたの、このせいだよきっと・・・みんなに話したくてうずうずしてたんだ・・・」

話し、お互いに頷きあうものの

「ん?矢部先生、大田川先生、どうかした?」

という神林のにっこり笑顔の聞き返しによって、すぐにそれも否定する。

「あっ、いえ!ね、ねっ、矢部君!!」
「そっ、そうだよな!」
「あ、そう?そうそう進藤先生、ちょっとこっちこっち・・・」
「神林先生、嬉しそうですね。どうかしたんですか?」

神林の嬉しそうな顔に、進藤も少し笑いながらその手招きする方向へと歩いていった。

「コレさ、妻が送ってくれたんだけど、どう思う?」
「鯉のぼりですか。季節感あって、いいですね」
「やっぱり先生もそう思いますよねぇ」

神林は得意げにそう言った。

「でも小児科でもないのに鯉のぼりって・・・」
「ちょ、ちょっと矢部君!」

相変わらずの満面の笑みに、矢部はつい小声で本音を漏らしてしまう。
が、しかし。

「矢部がいれば、別にあっても問題ないだろう」

進藤が笑いながら、しかしある種真剣にそう言った。

「・・・しっ進藤先生、それどういう意味ですかぁ・・・」
「矢部君が子供だってことだよ〜。ね、進藤先生?」
「大田川、お前そんなはっきり言わなくたっていいだろ・・・俺そんな子供じゃないで―――」



「はぁ・・・・」

そこへ今度はため息をつき、少しばかり疲れ気味の香坂がやってきた。
手にはなにやら買い物袋をぶら下げているが、

「あ、香坂先生!」

という大田川の声が聞こえると、すぐ我に帰った様子で、その買い物袋を自分の机に隠した。

ちょっと・・・なんでこんな忙しい時間帯にこんなにたくさんいるのよ・・・

「おっ、大田川さん・・・って皆さんおそろいで、随分とお暇そうね」

急いで焦っている自分を隠し、香坂は冷静にそう言った。
そこへ神林はもう一度例のモノを見せようと、香坂に

「香坂先生良いとことに来たね〜。ちょっとコレ見て――」

と声をかける。
しかし、

「今ちょっと忙しいんです。今見なくちゃいけないものですか?」

と、すぐに冷たい返事が返ってきた。
思わず、それ以外の3人は笑顔のまま固まった神林の姿を見て笑いそうになる。

「あ、忙しい・・・いやそんな見なくちゃいけないようなもののわけじゃないから。ごめんね、忙しいときに」

そっか〜、そうだよねぇ、香坂先生忙しいよねぇ・・・と言いながら、「じゃあ僕外来でも見てくるね」とフラフラその場を立ち去った。
笑顔を一瞬にして凍らせた神林先生の姿を見送る医局に、何となく気まずい沈黙が流れそうになる。

そのとき、

「あのっ、香坂先生!」

今度は矢部が声をあげた。

「・・・何かしら?」
「俺、そんなに子供じゃないですよねっ!?」

何の前触れもない矢部の言葉に、医局にはまたも沈黙の雰囲気が漂った。

「矢部君!!すみません、先生忙しいのに・・・」

大田川が隣にいた矢部の頭をバシッと叩き、「矢部君何言ってるの!」と小声で言う。

「いってー!いいだろ、別に・・・」
「良くないわよ!香坂先生疲れてるって言ってたでしょ」
「俺だってずっと気になって気になって気になって・・・このままじゃ夜も眠れなくなるだろ」
「じゃあ寝なくていいわよ。その方が救命だって助かるし」
「お前・・・分かってないな〜。寝ないと頭働かなくなるんだよ」
「矢部君のそんなところまで知らないわよ!」

もともとの原因も忘れ、ひたすら小声で言い合う矢部と大田川。
そんな二人を見て、思わず進藤と香坂は顔を見合わせて苦笑いした。
そして、二人の言い争いが終わりそうになってきたところで一言。

「あなたが大人か子供かは知らないけど、とりあえず大人はそんなこと聞かないわよ」

その言葉に大田川はぷっと笑い、

「だってさ、矢部君」

と矢部の背中を押した。
矢部もさきほどの誰かのように、顔を硬直させ、しかしすぐに我に帰り、

「あ・・・そうですよね。あの・・・俺コーヒー入れます!!」

と言い、コーヒーメーカーまで走ってみるものの、

「私、いらないわ」

という彼女の一言によって、またもその努力は崩れ去った。

「あ、そうだ矢部君」
「ハイ!!」

ことごとく自分の言葉をつき返されていた彼にとって、香坂からの呼びかけは、何よりも嬉しいものだったらしい。
ご主人が駅から出てきた瞬間の忠犬ハチ公のごとく顔をすぐに輝かせ、彼女の次の言葉を待つ。

「それよりあなたの患者、呼んでたわよ」

患者・・・?あ、そういえば、医局に来た理由って、大田川呼びに来るためで・・・
・・・あっ、やべ!!

「えっ!あ、そうだった!」

全てを思い出した矢部は、すぐに医局からICUへと走る。

「ちょっと矢部くん、そうだったじゃないでしょ」

後ろからは大田川の声が聞こえ、「そうだ!大田川も呼ばれてた!」と今度は、

「大田川、ICU行くぞ!!」

と彼女を急かした。

「えっ・・・も〜!矢部君、そんな調子で大丈夫なん?」

矢部の言葉に、大田川もすぐ医局を出て行く。
バタバタ・・・と走る足音が聞こえる中、医局には進藤と香坂の二人だけが残った。



お互いに無言の状態がしばらく続く。
それから、ふと思い出したかのように、香坂は進藤にお茶を持っていった。
いつものコーヒーではなく、珍しく緑茶を。
そして、さっき隠した買い物袋から、あるものを取り出して。

「はい、お茶。それと・・・」

あくまでも自然に、彼女は彼にそれを渡す。

「珍しいな、緑茶か。それに・・・柏餅?」
「そうよ。あなた、さっき患者と話してて、今日子供の日だって言われたら、食べたいって言ったでしょ」
「・・・ああ、そうだったな」

進藤は、先ほど患者と交わした会話を思い出し、そう短く答えた。

「だから、あげるわ」

何となく、状況がつかめない進藤は、香坂のその言葉を聞き、とりあえず疑問に思っていたことを聞いた。

「・・・わざわざ買ってきたのか?」
「そんなんじゃないわよ・・・売店で見つけて・・・急いでるのにあのオバサンがかまってくるから・・・しょうがなく買っただけよ」

一生懸命説明する香坂を見て、一言そう言いながらも、進藤は優しく彼女に笑いかける。

「そうか」

なんとなくその顔を見て、香坂は目を伏せ、

「そうよ。それだけだから」

とぶっきらぼうに答えた。

「・・・でも、うまいな」
「・・・そう?」
「ああ」
「それなら良かったけど。売店のオバサンにお礼言っておかなきゃね」



「進藤先生!ちょっと来てください!」

そこへ急いで駆け込んできたのは桜井だった。
その表情――患者の急変を知らせるかのような――を見て、進藤はすぐに医局を飛び出す。

「忙しいわね」
「お前もさっきそう言ってたしな」
「そうだったわね。あとそれから・・・」

香坂はそこで言葉を切った。
怒っているようにも、何か言いたがっているようにも見える表情で。
進藤は、そんな彼女を見て笑いながら、

「お前って言わないで、か?」

とからかうように言った。

「・・・分かってるなら言わないで。それより、桜井さんの方、早く行ったほうがいいんじゃない?」
「ああ」

それだけ言って、彼は出て行く。
さっきまでの笑顔もどこへ行ったのか、彼女に向けるその顔も、真剣な医者そのもので。

それから一人になった香坂は、そっと柏餅の入っていた袋を片付けた。
誰にも見つからないように、小さく丸めて。

「・・・こんなことで嘘つくなんて、誰が子供だか分からないわね」

小さく一言呟いて、彼女も医局を出て行く。

誰もいなくなった医局。
静かなその空間で、彼女の机の中からは、小さく小さく丸めた和菓子屋の紙が、少しだけ顔を出していた。



*end*



あとがき



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